株式会社オリエンタルランドは、浦安沖の海面を埋め立て、商住地域の開発と一大レジャーランドの建設を行い、国民の文化・厚生・福祉に寄与することを目的に、1960年7月11日に設立された。
高度経済成長期、工場などから排出される汚水によって、浦安周辺の海は汚れ、漁業に多大の損害が生じていた。千葉県は埋め立てによって土地を開発し、漁業に代わる新しい産業の可能性を模索した。
1950年代後半には浦安の埋め立て計画を立案し、レジャー施設の建設や住宅地、商業地を造成しようとした。それを受けて、京成電鉄と三井不動産、そして朝日土地興業(その後、朝日土地興業は三井不動産に吸収合併)の3社によって、オリエンタルランドが創設された。
1964年に埋立工事の委託を受けた、オリエンタルランドは埋立工事に着工した。1966年には現在の東野・富岡・今川・弁天・鉄鋼通り地区の埋立工事が完了した。その9ヵ月後に工事をスタートさせた現在の海楽・美浜・入船地区も1969年に完了し、1970年、残る現在の舞浜地区の埋立工事が完了した。この舞浜地区の一部に、現在の東京ディズニーリゾートが位置する。その後、各埋立地は住宅用地や商業用地などとして開発が進められた。
(注)浦安市ホームページ「
市街地環境情報ブック」より。
埋立工事と並行してオリエンタルランドが進めていたのは、舞浜地区に東洋一のレジャーランドを建設するためのマスタープランの検討だ。現在の東京ディズニーリゾートとは違う、オリエンタルランド独自の計画だった。
最終案である「
オリエンタルランド(レジャー施設)基本計画」が、1974年に千葉県に承認された。メインテーマを「すばらしい人間とその世界」としたこの基本計画は、テーマ性を備えたプレイランド(テーマパーク)、ホールエリア、ファッションスクエア、ホテルなどが集積した画期的な総合レジャー施設構想だった。現在のディズニーランドとは全く違う計画だ。
そして、この頃より、レジャー施設「オリエンタルランド」実現に向けた調査の一環として欧米のレジャー施設調査が開始され、1972年5月には、米国のディズニーランドやウォルト・ディズニー・ワールドにも調査団が派遣された。